加賀まりこの娘は生後7時間で他界!父親非公表と事実婚までの家族史

加賀まりこの娘は生後7時間で他界!父親非公表と事実婚までの家族史

加賀まりこさんに娘はいるのか。そう調べてこのページにたどり着いた方が多いと思います。

娘はいました。1972年に生まれ、生後7時間で亡くなっています。

加賀まりこさん自身が、何度も言葉にしてきた出来事です。

この記事では、娘について確認できることと、その後にどんな家族の形にたどり着いたのかを順に整理していきます。

加賀まりこの娘について確認できること

まずは、いちばん知りたい「娘はいるのか」から確認していきましょう。

  • 生後7時間で亡くなった娘
  • 父親と死因は公表されていない
  • 検索で混同されやすい別の娘
  • 娘を亡くした2年後の結婚と離婚

生後7時間で亡くなった娘

加賀まりこさんには娘がいました。1972年、結婚しないまま女の子を出産しています。

けれどその娘は、生まれて7時間で亡くなりました。母親として過ごせた時間は、たった7時間だったことになります。

加賀まりこさんの娘は1972年に生まれ、生後7時間でこの世を去りました。

先に、確認できる範囲の情報を一覧にしておきます。

娘の有無 いた。1972年に出産している
亡くなった時期 生後7時間
死因 公表されていない
娘の父親 公表されていない
その後の婚姻 1974年に結婚し1980年に離婚
現在のパートナー 演出家の清弘誠。20年以上の事実婚で入籍していない
生年月日 1943年12月11日
出身地 東京都神田区小川町(現・千代田区神田小川町)

ここで押さえておきたいのは、死産ではないということです。娘は生まれてきていて、7時間だけこの世にいました。個人ブログの中には「死産」と書いているものがありますが、正確ではありません。生まれた事実と、亡くなった事実の両方があります。

短い時間であっても、確かに生まれた命があった。加賀まりこさんが折に触れてこの話をしてきたのは、そこに意味があるからでしょう。

当時の日本で、結婚していない女性が出産することは、いまよりずっと風当たりの強い選択でした。1972年といえば、未婚の母という言葉がまだ強い響きを持っていた時代です。しかも加賀まりこさんは、すでに「小悪魔的女優」と呼ばれて注目を集めていた立場でした。

そんな状況で産む決断をしたこと自体が、簡単なことではなかったはずです。仕事を失うかもしれない、世間から何を言われるか分からない。それでも産むと決めた人が、生まれた娘を7時間で見送ることになりました。

加賀まりこさんはこの出来事を、50年以上が経ったいまも自分の言葉で語り続けています。普通なら胸にしまっておく話です。それでも取材や番組で触れてきたのは、自分がどう生きてきたかを説明するときに、この7時間を抜きにできないからなのだと思います。

父親と死因は公表されていない

娘について、公表されていないことが2つあります。父親が誰なのかと、死因です。

加賀まりこさんは出産の事実そのものは語ってきましたが、相手の男性については明かしていません。所属事務所からの発表もなく、確認できる一次的な情報が存在しない状態です。

娘の父親が誰なのかは、これまで一度も公表されていません。

インターネット上には、当時交際が報じられていた人物の名前を挙げて父親だと断定している記事もあります。ただ、その根拠になっているのは推測か、別の記事からの又聞きです。本人の言葉でも報道でもありません。

ここは、はっきり「分かっていない」と書くべきところでしょう。半世紀以上前の、しかも本人が語らないと決めた領域です。名前を並べて当てにいくような扱い方をする話ではありません。

死因についても同じです。「生後7時間で亡くなった」という事実は本人の言葉として残っていますが、なぜ亡くなったのかは説明されていません。

死因も公表されておらず、確認できるのは「生後7時間で亡くなった」という事実だけです。

1972年という時代を考えると、いまなら助かった命だった可能性もあります。周産期医療は半世紀で大きく変わりました。ただ、それも外から言えることではありません。当時の医療で何ができて何ができなかったのか、その場にいた人にしか分からない話です。

検索の候補に「加賀まりこ 子供 死因」という語が並ぶのは、そこが分からないままだからでしょう。ただ、分からないものを埋めようとすると、必ず推測が混ざります。医療的な事情なのか、別の要因なのか。どちらにしても、外から言い当てられる話ではありません。

分かっているのは、加賀まりこさんが一人で産むことを選んだという事実です。その選択の重さは、相手が誰かという情報がなくても十分に伝わってきます。

語らないと決められた部分ごと受け止めるのが、この話への向き合い方だと思います。芸能人の家族の話はしばしば消費される形で扱われますが、加賀まりこさんの場合は本人が主導権を持って語ってきました。だからこそ、読む側も憶測を足さずに受け取るのが筋でしょう。

検索で混同されやすい別の娘

「加賀まりこ 娘」と検索すると、上位に少し紛らわしい記事が出てきます。

俳優の田中健さんのブログです。田中健さんが自身の娘の成人を報告した記事で、その中に「加賀まりこさんと清弘誠さんから、娘が好きそうな美しいアレンジメントをいただいた」という一節があります。

つまりこれは、加賀まりこさんの娘の話ではありません。田中健さんの娘さんに、加賀まりこさんとパートナーの清弘誠さんが成人祝いを贈った、という内容です。

検索上位に出てくる「娘」の記事の一つは、加賀まりこさんではなく田中健さんの娘についてのものです。

検索した人が混乱しやすいのは、記事タイトルに「加賀まりこ」と「娘」が並んでいるためでしょう。読み始めてから別の話だと気づく、という形になります。加賀まりこさんの娘について知りたくて検索した人が、まったく違う家庭の成人祝いの記事にたどり着く。そういうことが起きています。

もっとも、この記事から分かることもあります。加賀まりこさんと清弘誠さんが、連名で知人の家族にお祝いを贈る関係にあるということです。二人がそういう間柄で日常を送っていることが、思わぬところから見えてきます。

もう一つ、混同されやすい情報があります。個人ブログの中には「加賀まりこさんには上海に住む既婚の娘がいる」と書いているものがあります。これは清弘誠さんの子供を指しているようですが、本人が語ったインタビューで触れられているのは息子だけです。娘については一次的な裏づけが取れないため、この記事では扱いません。

つまり「加賀まりこ 娘」で出てくる情報には、3種類が混ざっています。本人が産んだ娘、田中健さんの娘、そして裏の取れない話です。この記事で扱うのは1つ目だけになります。

こうした混同が起きるのは、加賀まりこさん自身が家族について多くを語らないからでもあります。情報が少ないところには、周辺の話が流れ込んできます。検索する側としては、まずどの娘の話なのかを見分けるところから始める必要がありそうです。

娘を亡くした2年後の結婚と離婚

娘を亡くしたのは1972年でした。その2年後の1974年に、加賀まりこさんは結婚しています。

相手はフジテレビのプロデューサー、高田明侑さんです。そして1980年に離婚しました。

婚姻歴は1度です。1974年に結婚し、1980年に離婚しています。

この結婚生活について、加賀まりこさんが詳しく語った記録は多くありません。離婚の理由も公表されていないので、ここも推測で埋めるところではないでしょう。

ただ、時系列を並べてみると見えてくるものはあります。娘を失った直後の時期に結婚し、6年で別れている。そしてその後、加賀まりこさんは再婚していません。

結婚していた期間の加賀まりこさんは、女優としてはむしろ充実期に入っていく時期でした。1981年の「夕暮まで」でブルーリボン賞助演女優賞、翌年には「泥の河」「陽炎座」でキネマ旬報の助演女優賞を受賞しています。離婚した直後に、演技への評価が一気に高まったことになります。

私生活の形と仕事の充実が、必ずしも同じ方向を向いていない。この時期の歩みを見ると、そのことがよく分かります。

元夫の高田明侑さんはフジテレビのプロデューサーで、清弘誠さんはTBSの演出家です。どちらもテレビ番組を作る側の人でした。役者として画面に映る自分と、それを作る側の人。加賀まりこさんが長く一緒に過ごしてきた相手には、その共通点があります。

そして現在に至るまで、加賀まりこさんは入籍という形を選んでいません。この選択が何に由来するのかは本人にしか分からないことですが、少なくとも「結婚という制度に一度身を置いたうえでの選択」であることは確かです。制度を知らないから避けているのではなく、経験したうえで別の形を選んでいます。

離婚から次のパートナーとの関係が始まるまでには、20年以上の時間があります。その間、加賀まりこさんは再婚を選ばずに仕事を続けました。急いで誰かと一緒になろうとしなかった時間の長さも、この人の家族の歩みを語るうえでは見ておきたい部分です。

加賀まりこの娘のその後にたどり着いた家族の形

娘を亡くし、結婚し、離婚した。その先にどんな関係があったのかをたどります。

  • 麻雀仲間から20年以上の事実婚へ
  • 恋が実るまでの5年
  • 連れ合いの息子との時間
  • 遺言書という形の選択
  • 加賀まりこの娘と家族についてまとめ

麻雀仲間から20年以上の事実婚へ

現在の加賀まりこさんには、長く連れ添ってきたパートナーがいます。

TBSの演出家、清弘誠さんです。6歳年下で、二人の関係は20年以上続いています。

清弘誠さんとの関係は事実婚で、入籍はしていません。

清弘誠さんは「渡る世間は鬼ばかり」「男女7人夏物語」といった作品に携わってきた人です。表舞台に立つ職業ではないので、名前だけを知っているという方も多いかもしれません。

二人の出会いは、いきなり恋愛から始まったわけではありませんでした。最初の接点は1980年、ドラマ「しあわせ戦争」の現場です。その後、1986年の「男女7人夏物語」で、清弘誠さんがディレクターとして再び関わることになります。

出会いから恋愛関係になるまでには、20年以上の時間がかかっています。

その長い期間、二人は仕事仲間であり、そして麻雀仲間でした。加賀まりこさんは麻雀を好むことで知られていて、1984年の映画「麻雀放浪記」にも出演しています。その卓を囲む相手の一人が清弘誠さんだったわけです。

恋人でも夫婦でもない時間が、何十年も先にあった。この助走の長さが、二人の関係の性格をよく表しています。急に燃え上がったのではなく、日常の延長線上で少しずつ位置が変わっていった関係です。

二人の関係が世に知られたのは2004年でした。報道をきっかけに公になった形ですが、加賀まりこさんはその後、テレビや雑誌で率直に語ってきました。隠すでもなく、必要以上に見せるでもなく、聞かれたら答えるという距離感です。パートナーとの日常について「料理は全然作らない」といった飾らない発言が出てくるのも、この人らしいところでしょう。

近年も二人の話題は折に触れて出てきます。60年来の親友である冨士眞奈美さんとテレビ番組に出演した際にも、パートナーとの生活について語る場面がありました。長く一緒にいる相手のことを、隠さず自然に話せる。その姿勢が20年以上変わっていません。

恋が実るまでの5年

転機は、加賀まりこさんが59歳のときに訪れます。長年の麻雀仲間だった相手に、恋をしたのです。

恋をした側は加賀まりこさんでした。ところが、そこからがすぐには進みませんでした。

加賀まりこさんが恋をしてから、清弘誠さんが応えるまでに5年かかりました。

その理由は、清弘誠さんに自閉症のある息子がいたことでした。息子の将来をどうするか。その心配を抱えたまま、新しい関係に踏み出すことができなかったという事情です。

状況が落ち着いてから、ようやく二人の関係が始まりました。恋愛の話としては、かなり異例の始まり方でしょう。相手の家庭の事情が整うのを、5年待った形になります。

50代の後半から60代にかけての5年間です。決して短くありません。それでも待てたのは、相手が抱えているものを理解していたからでしょう。仕事仲間として、麻雀仲間として、何十年も近くにいた関係だからこそ分かる事情があったはずです。

加賀まりこさんはのちに、この息子の存在について「息子の存在があったから、彼を好きになった」という趣旨のことを語っています。

障害になったのではなく、むしろ気持ちが深まる理由になった。そういう受け止め方をしてきた人です。

普通に考えれば、相手に子供がいて、その子のことで関係が5年止まるというのは、恋愛にとっては重荷になりかねません。ところが加賀まりこさんの語り方は逆でした。息子を大事にしている姿を見たからこそ、この人を好きになった。そう説明しています。

娘を7時間で見送った人が、他人の子供を巡って5年待った。その並びには、どこか通じるものを感じます。

年齢のことを考えると、この5年の意味はさらに重くなります。50代の終わりから60代に入る時期に、結果が出るかどうか分からない相手を待ち続けたわけです。若い頃なら別の相手を選ぶという判断もあったかもしれません。それでも待った理由は、相手が誠実に息子と向き合っていたからでしょう。

連れ合いの息子との時間

清弘誠さんの息子について、加賀まりこさんは公の場で何度か話しています。

「私の連れ合いの息子が、自閉症なんです。すごく可愛いのよ」。そう語り、続けて息子の様子をこう描写しました。「いつもあらぬほうを見てるのよ。視線を合わせないの。でも目はすごく綺麗。澄んだ瞳で、純真で」。

加賀まりこさんは、パートナーの息子を「すごく可愛い」と表現しています。

血のつながりはありません。籍も入れていないので、法律上の家族でもありません。それでも、加賀まりこさんの言葉には距離がありません。可愛いという言葉が、社交辞令ではなく実感として出てきているのが伝わってきます。

この関わりは、仕事にもつながりました。2021年の映画「梅切らぬバカ」で、加賀まりこさんは自閉症の息子を持つ母親・珠子を演じています。息子の忠男役は塚地武雅さん。54年ぶりの映画主演として大きく報じられた作品です。

役作りにあたって、実際の経験が生きたと本人が語っています。

その出演について、加賀まりこさんは「あの子がこの役をもってきてくれたのかな」とコメントしました。

連れ合いの息子が、女優としての大きな仕事を運んできてくれた。そういう受け止め方です。54年ぶりの主演という節目を、家族の存在と結びつけて語っているところに、この関係の深さが表れています。

「梅切らぬバカ」は、年老いた母と自閉症のある息子が、庭の大きな梅の木に見守られながら暮らす日々を描いた作品です。派手な事件が起きるわけではなく、親子の何気ない日常を丁寧に積み重ねていく映画でした。加賀まりこさんが演じた珠子は、軽口を叩きながら、小柄な体で大きな息子の世話をする母親です。

その役に説得力があったのは、演技の技術だけではなかったはずです。近くで見てきた親子の姿があったからこそ、成立した主演だったといえます。

なお、清弘誠さんの息子は一般の方です。この記事では、加賀まりこさん本人が公の場で語った範囲だけを扱っています。専門の学園で生活しているという以上のこと、たとえば氏名や所在といった情報には触れません。

遺言書という形の選択

20年以上一緒にいて、それでも二人は籍を入れていません。

加賀まりこさんは、この点についてはっきりした考えを持っています。夫婦別姓の制度を支持する立場を示していて、入籍しないことは消極的な結果ではなく、選択として語られてきました。「別に結婚なんてしなくてもいいわよ」という趣旨の発言もしています。

事実婚を続けていることは、二人にとって「まだ結婚していない」ではなく、選んだ形です。

ただし、事実婚には法律上の弱さがあります。戸籍上の夫婦ではないため、パートナーには法定の相続権がありません。どちらかが亡くなったとき、残されたほうが何も受け取れないという事態が起こりえます。

そこで加賀まりこさんが取った方法が、遺言書でした。

加賀まりこさんは、パートナーのために遺言書を作成しています。

その理由について、本人は「彼の大変さを少しは分かち合いたいと思うから」と語りました。自閉症のある息子を育ててきた相手が、この先も抱えていくものがある。それを少しでも支えたい。そういう意図で用意された文書です。

婚姻届を出す代わりに、遺言書を書いた。形式としては地味ですが、意味するところは重いはずです。相続の専門家は、事実婚の夫婦にとって遺言書は「愛の証」であり、ある意味で婚姻届の代わりになると説明しています。

かつて一度、結婚という制度の中にいた人です。1974年から1980年までの6年間、婚姻関係にありました。そのうえで、いまは別の形を選び、その形に足りないものを自分で補っている。この順序には意味があります。

事実婚を選ぶ理由は人それぞれです。姓を変えたくないという人もいれば、周囲の事情でやむを得ずという人もいます。どの理由であっても、法律が守ってくれない部分が残ることに変わりはありません。だからこそ、書き残しておく作業が必要になります。

生まれて7時間で亡くなった娘がいて、結婚と離婚があって、その先に籍を入れない関係がある。加賀まりこさんの家族の歩みは、教科書どおりの順番をひとつも踏んでいません。それでも、いま隣にいる人がいて、その人のために書き残した紙がある。それがこの人の答えなのだと思います。

加賀まりこの娘と家族についてまとめ

加賀まりこさんの娘と、その後の家族について整理します。

  • 加賀まりこさんには娘がいた。1972年に未婚のまま出産している
  • その娘は生後7時間で亡くなった。死産ではなく、生まれた後に亡くなっている
  • 死因は公表されていない
  • 娘の父親も公表されていない。名前を挙げている記事があるが、本人の言葉でも報道でもない
  • 「加賀まりこ 娘」の検索上位には、俳優・田中健さんの娘についての記事が混ざっている。加賀まりこさん自身の娘の話ではない
  • 1974年にフジテレビのプロデューサー・高田明侑さんと結婚し、1980年に離婚した
  • 現在はTBSの演出家・清弘誠さん(6歳年下)と20年以上の事実婚。入籍はしていない
  • 出会いは1980年のドラマ「しあわせ戦争」。長く麻雀仲間で、59歳のときに恋をした
  • 清弘誠さんが受け入れるまで5年かかった。理由は自閉症のある息子の将来を案じていたこと
  • その息子について加賀まりこさんは「すごく可愛いのよ」と語り、映画「梅切らぬバカ」の出演にもつながった
  • 事実婚のパートナーには相続権がないため、加賀まりこさんは遺言書を作成している

娘について検索した方が知りたいのは、たぶん「いたのかどうか」という一点だと思います。答えははっきりしていて、いました。ただし一緒に過ごせた時間は7時間でした。

その先に何があったのかまで見ていくと、この人の家族の形が見えてきます。血のつながりも籍もない相手を「すごく可愛い」と言える関係に、半世紀かけてたどり着いた。娘の話は、そこにつながる出発点にあります。

家族というのは、産んだか産まないか、籍を入れたか入れないかだけで決まるものではない。加賀まりこさんの歩みは、そのことを静かに示しているように思います。

いまも現役で仕事を続けている人です。娘の話も、事実婚の話も、過去を振り返るためだけに語られてきたのではなく、これからも続いていく日常の一部として語られてきました。そこがこの人の家族史のいちばん強いところだと思います。

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