タレントの田中律子さんの夫は誰なのか、どんな人だったのかが気になって検索した方は多いのではないでしょうか。
田中律子さんは1997年にカメラマンの男性と結婚し、15年の結婚生活を経て、2012年3月に離婚を発表しました。
元夫の名前は、本人の発言でも報道でも明らかにされていません。再婚についても、本人は「する気はないですね」と話しています。
この記事では、元夫の職業や人柄、馴れ初め、離婚のきっかけと再婚への考えを、本人の発言と報道をもとに整理します。
目次
田中律子の夫は誰?|カメラマンの元夫と結婚までの経緯
- 夫の職業と人柄
- 馴れ初めと1997年の結婚
まずは、夫だった男性について分かっていることと、結婚までの流れを見ていきます。
夫の職業と人柄
田中律子さんは1971年7月17日生まれ、東京都出身のタレント・俳優です。10代前半でスカウトされてモデルとして芸能界に入り、1988年には筒美京平さんのプロデュースでアイドル歌手としてデビューしました。1991年にはドラマ『101回目のプロポーズ』で浅野温子さんの妹役を演じ、お茶の間の人気者になりました。
夫だった男性の職業は、カメラマンです。2012年3月の離婚報告を伝えた共同通信のエンタメOVOは「子どもの父親であるカメラマン」と書き、デイリースポーツも2019年の記事で「コマーシャルのカメラマン」と紹介しました。
結婚と離婚について分かっていることを、先に一覧にしておきます。
| 夫の職業 | カメラマン(デイリースポーツは「コマーシャルのカメラマン」と報道) |
| 夫の名前 | 明かされていない |
| 夫の人柄 | 本人は「子どもの面倒をきちんと見てくれ、家事もしてくれ」と語っている |
| 馴れ初め | 田中さんが一目惚れし、猛アタックしたと報じられている |
| 結婚 | 1997年(妊娠4か月の発表と同時に結婚) |
| 長女の誕生 | 1998年 |
| 離婚 | 2012年2月初旬に離婚届を提出し、3月7日にブログで発表 |
| 再婚 | 本人は「する気はないですね」と語っている |
元夫は芸能活動をしている人物としては報じられておらず、田中さんも名前や勤務先を明かしていません。
ネット上には、元夫の名前や顔写真だとして特定の名前や画像を紹介するページがあります。検索候補にも、関連する人名がいくつか表示されます。しかし、本人のブログやインタビュー、報道のどこにも、その裏付けは出ていません。
一般の方の名前や顔は、出典のないまま書くべきではありません。
人柄については、田中さん自身が語った言葉がいくつか残っています。
週刊女性PRIMEの2023年のインタビューで、田中さんは夫婦仲が冷えていった経緯を話したうえで、元夫についてこう語りました。「夫は子どもの面倒をきちんと見てくれ、家事もしてくれ、浮気もまったくありません」と、元夫の育児や家事への姿勢を挙げています。
デイリースポーツが伝えた2019年のテレビ番組でも、同じ趣旨の話が出ました。夫は品行方正で、田中さんは「浮気してくれた方がいいのにな」とまで思い詰めたといいます。
2024年10月のOTONA SALONEのインタビューでは、夫婦の暮らしぶりにも触れました。「元夫とは一緒には住んでいましたし、家庭内別居ほどではなかったんですけど。娘の学校行事は2人で参加していましたし」と話しています。離婚を決めるまで、子供の行事には夫婦そろって出ていたことが分かります。
この3つの発言を並べると、田中さんの説明では、離婚の理由は元夫の素行や子育てへの姿勢ではありませんでした。夫婦のあいだで変わったのは、出産をきっかけにした男女としての関係です。その経緯は、後の章で詳しく見ていきます。
2012年3月の離婚報告で、田中さんは離婚の原因を明かしませんでした。J-CASTニュースも、離婚の原因は明かされていないと伝えました。本人が当時のことを語る機会が増えたのは、2019年のテレビ番組からです。
これらの発言の多くは、田中さん自身の側からの振り返りです。元夫の側の言葉は、報じられていません。
馴れ初めと1997年の結婚
馴れ初めについて、本人が詳しく語った資料は多くありません。最も具体的なのは、週刊女性PRIMEの2023年11月の記事です。週刊女性PRIMEは、お相手のカメラマンに田中さんが一目惚れし、猛アタックした末のゴールインだったと伝えています。
20代の田中さんは、仕事に恵まれながらも悩みを抱えていました。『101回目のプロポーズ』のヒットで知名度を上げ、『王様のブランチ』の司会をきっかけにバラエティー番組の仕事も増えていきます。それでも、「自分が本当にやりたいことは何なのだろうと考えてしまって」と話し、「もう引退しようかな」と悩むことも少なくなかったそうです。
華やかな仕事が続いていた時期に「引退しようかな」と悩んでいたという話は、意外に感じました。
記事は、そんな田中さんにとって大きな転機となったのが、結婚と出産だったと書いています。
出会いの場所や時期、交際期間については、田中さん自身が語った話は出ていません。ネット上にはCMの撮影現場で出会ったとする記事もありますが、出典は添えられていません。
結婚の発表は、1997年のことです。共同通信のエンタメOVOによると、田中さんは1997年に妊娠4か月であることを発表し、同時に子どもの父親であるカメラマンと結婚しました。結婚の報告は、妊娠の発表と同時だったことになります。
翌1998年に、女児が誕生しました。氏名や学校など、長女の個人情報はこの記事では扱いません。
出産のとき、田中さんは芸能界の引退も考えたといいます。週刊女性PRIMEで「出産で芸能界引退も考えたのですが、出演していた番組のプロデューサーさんが『待ってるよ』と声をかけてくださり、求められたことがすごくうれしかったんです」と振り返りました。田中さんは、産後1か月でCM撮影を行い、そのときから引退は考えなくなったと語っています。
続けて「あらためて『この仕事で頑張っていこう』と思いました」とも話しています。結婚と出産は、夫婦の出来事であると同時に、田中さんが仕事を続ける決意を固めた出来事でもありました。
田中律子の夫との離婚と再婚|2012年の発表と本人の言葉
- 立ち会い出産とレスの経緯
- 離婚を決めた娘のひと言
- 2012年3月のブログ発表
- 再婚しない考えを語る
- 田中律子の夫と離婚のまとめ
- この記事の情報源
ここからは、夫婦関係が変わっていった経緯と、離婚の発表、その後の再婚への考えを順に見ていきます。
立ち会い出産とレスの経緯
夫婦関係が変わるきっかけは、長女の出産でした。田中さんは複数の場で、同じ経緯を語っています。
2019年11月、フジテレビ系『ダウンタウンなう』に出演した田中さんは、不安だったので出産に立ち会ってもらったと明かしました。デイリースポーツによると、「いやだって言われたのに」無理に立ち会ってもらい、「立ち会ったら、その後から『ちょっともう無理』って」言われたといいます。
週刊女性PRIMEの2023年のインタビューでも、「娘の出産に夫が立ち会ったのですが、そのときから女性として見ることができなくなったと言われました。スキンシップがなくなり、心も離れていったんです」と話しました。
2024年10月のOTONA SALONEでは、さらに踏み込んで当時を振り返りました。田中さんは、立ち会い出産を無理強いしたことについて「無理強いはいかんかったなと今でも思います」と語っています。
同じインタビューによると、出産した場所は、陣痛室から分娩室、病室へと移動せず、分娩時にベッドが分娩台になる形式の部屋でした。そのこともあり、「子育てはお互いのことなんだから、私だけドキドキさせないで一緒にいてよ」という気持ちが強くなってしまったそうです。
田中さんは、立ち会い出産そのものを否定しているわけではありません。「私の経験上のことしか言えないし、人によると思います」と断ったうえで、夫が嫌がるなら避けたほうがいいという自身の考えを述べています。「相手が嫌って言ったら、もう絶対にダメだよ。あきらめなさい」と、当時の自分に言いたいそうです。
「人によると思います」と断りながら話している点が、読んでいて印象に残りました。
産後からレスになり、話し合いもしましたが、「1度そうなっちゃうとやっぱり難しくなりますよね」と田中さんは話しています。夫婦は、自身の言葉でいう「いわゆる仮面夫婦状態」になりました。
その期間の長さは、媒体によって数え方が異なります。デイリースポーツは、番組での発言として、結婚2年目からの13年間は仮面夫婦だったと伝えました。OTONA SALONEの記事の見出しは「12年のレス」です。どちらも本人の語りを要約したものなので、この記事では十数年にわたって続いたとまとめておきます。
離婚を決めた娘のひと言
離婚を長く決められなかった理由として、田中さんは子供と仕事を挙げています。デイリースポーツによると、番組では「子供もあったし、その当時コマーシャルをすごいやってたんですよ。とにかくいいお母さんっていう(イメージ)。社長に相談した時にも、契約があるからって」と説明しました。
週刊女性PRIMEでは「CM契約のこともあり、なかなか離婚を決断できませんでした」と述べています。OTONA SALONEでも「離婚しようか悩んでいる期間が長かったんです。仕事の関係で離婚できないというのもあったり」と話しました。
離婚を決意するきっかけは娘のひと言だったと、田中さんは複数の場で語っています。
ひと言の表現は、媒体によって少し異なります。デイリースポーツと週刊女性PRIMEは「もう離婚していいよ」、OTONA SALONEは「ママ、もういいよ」です。言われたときの娘の学年も、週刊女性PRIMEは「小学6年生」、OTONA SALONEは「中学1年生」と分かれています。2023年の『徹子の部屋』では、デイリースポーツによると「娘が中学生のときですかね」と話しました。
2012年のブログで、田中さんは娘にも「去年から」離婚について話し、相談してきたと書きました。娘への相談が前年の2011年から続いていたことは、学年の違いと矛盾しません。ただ、どの学年のときの言葉なのかは、本人の発言からは確定できません。
OTONA SALONEでは、夫婦関係に娘が気づいていたかを聞かれ、「バレていたとは思いますね」と答えています。週刊女性PRIMEでも、娘から見ても関係が冷え切っていることは明らかだったのだろうと語りました。
デイリースポーツによると、田中さんは番組で「ホントにかわいそうなことをした」と、当時の娘への思いも口にしています。離婚を避けたいと思い続けた背景には、仕事の契約だけでなく、子供のために家庭を保ちたいという気持ちもあったことがうかがえます。
離婚を決めたのが娘のひと言だったという話は、読んでいて胸に残りました。
2012年3月のブログ発表
離婚が公になったのは、2012年3月7日です。田中さんは自身のブログで離婚を報告し、ORICON、共同通信のエンタメOVO、J-CASTニュースが、翌8日にこの報告を伝えました。
ブログで田中さんは「先月頭に離婚届けを提出し、15年の結婚生活にピリオドをうちました」と報告しています。
エンタメOVOによると、離婚届を出したのは2月初旬です。提出からおよそ1か月後の発表でした。1997年の結婚から数えて、結婚生活は15年になります。
離婚の日付は、発表日と届出の日を分けて読む必要があります。離婚届を提出したのは2月初旬で、3月7日は、それを田中さんがブログで公表した日です。デイリースポーツが「2012年に離婚」と書いているのは、届出の年にあたります。
ブログには「色々悩み、考えて…その結果、離婚と言う選択になりました」とあり、娘とは前年から夫婦のことや離婚について話し、相談を重ねたとも書かれています。「子供にとっては、本当に申し訳ないけど」と、娘への思いもつづりました。
今後については、「また一からのスタートで頑張りますので、どうぞよろしくお願いします。娘も多感な年頃ですので、どうぞ静かに見守っていただけるとうれしいです」と結んでいます。離婚の報告の中心にあったのは、元夫との関係よりも、娘への配慮でした。
その後、田中さんが離婚の経緯を語る機会は少しずつ増えます。2019年11月のテレビ番組で結婚2年目からの仮面夫婦の状態を明かし、2023年1月の『徹子の部屋』では、離婚という道を選んだことや娘の留学について話しました。2023年11月の週刊女性PRIME、2024年10月のOTONA SALONEでは、立ち会い出産のことまで具体的に語っています。
離婚後は、田中さんがシングルマザーとして長女を育てました。デイリースポーツによると、長女は高校の3年間をロンドンで過ごし、その後はパリにも留学しています。週刊女性PRIMEでも、田中さんは娘が高校からイギリスに留学したと話しました。
再婚しない考えを語る
離婚後の田中さんは、再婚について、時期を変えて同じ考えを語っています。
2019年11月のテレビ番組で、田中さんは「再婚はですねえ、する気はないですね」と話しました。
理由として挙げたのは、名前を変える手続きの煩わしさです。デイリースポーツによると、「離婚をした時の(名前を)変える時のもう…ホントにもう…あの煩わしさ。なんで女だけがこんな思いをしなきゃいけないんだろう」と語りました。
2023年の週刊女性PRIMEでも、「離婚をするときの手続きが大変だったので、再婚は考えていません。銀行、パスポート、運転免許証の名義変更など、どうして女性だけが名前を変えなければならないのだろうと思いました」と述べました。続けて「今はパートナーがいれば結婚という形をとらなくてもいいかなと考えています」とも話しました。
2024年10月のOTONA SALONEでは、「パートナーがいます」と明かしたうえで、「「結婚」っていうのはもういいかなって」と話しました。「もう名前は変えたくないなっていうのも理由のひとつでもありますね」とも語っています。パートナーの名前などは明かされておらず、この記事でも扱いません。
籍を入れる時期については、「「お墓、どうする?」ってなったときに、籍入れますか……みたいな感じなのかな」と、年を重ねた先の話として触れています。今すぐ入籍する考えを示したわけではありません。
最初の発言から最後の発言まで、期間は5年にわたりますが、再婚しない考えは変わっていません。どの場でも名前を変える手続きの負担が理由に挙がり、後の発言では、結婚という形にこだわらない考え方も加わっています。
結婚や再婚について確認できた中で最も新しい本人の発言は、この2024年10月のインタビューです。再婚や入籍を発表した報道は出ておらず、本人も再婚しない考えを語っています。
「再婚?」といった見出しのネット記事もありますが、再婚を裏付ける本人や事務所の発表は出ていません。
田中律子の夫と離婚のまとめ
田中律子さんの夫と離婚について、分かっていることをまとめます。
- 田中律子さんの夫だった男性の職業はカメラマンで、名前は本人も報道も明らかにしていない
- 1997年に妊娠4か月の発表と同時に結婚し、1998年に長女が誕生した
- 馴れ初めは、週刊女性PRIMEによると田中さんの一目惚れと猛アタック
- 本人は元夫について、子供の面倒を見て家事もし、浮気もなかったと語っている
- 夫婦関係が変わったのは立ち会い出産のあとで、本人は「無理強いはいかんかった」と振り返っている
- 離婚を決意するきっかけは、娘のひと言だった
- 2012年2月初旬に離婚届を出し、3月7日にブログで離婚を発表した
- 再婚について、本人は「する気はないですね」と話している
田中さんは、元夫の名前を明かさないまま、自分の側の反省も含めて当時の経緯を語ってきました。分かっているのは、本人が語り、報道された範囲のことです。
この記事の情報源
- エンタメOVO(共同通信) 2012年3月8日|離婚の報告
- ORICON NEWS 2012年3月8日|ブログでの離婚発表
- J-CASTニュース 2012年3月8日|離婚の報道
- デイリースポーツ 2019年11月15日|『ダウンタウンなう』での離婚の話
- デイリースポーツ 2019年11月15日|『ダウンタウンなう』での再婚の話
- デイリースポーツ 2023年1月20日|『徹子の部屋』での発言
- 週刊女性PRIME 2023年11月18日|本人インタビュー
- OTONA SALONE 2024年10月30日(前編)|本人インタビュー
- OTONA SALONE 2024年10月30日(後編)|本人インタビュー
- Wikipedia「田中律子」
