高岡蒼佑さんと宮崎あおいさんの馴れ初めが気になって、検索された方が多いのではないでしょうか。
二人が出会ったのは2000年ごろで、まだどちらも10代のときでした。
そこから7年という長い交際を経て結婚に至り、4年半で離婚しています。
この記事では、出会いのきっかけから結婚、そして別れまでの流れを時系列で整理していきます。
目次
高岡蒼佑と宮崎あおいの馴れ初め|出会いは10代のころ
まずは、二人がどう出会い、どう関係を深めていったのかを見ていきましょう。
- 出会いは2000年ごろ
- きっかけをつくった女優
- 当時は中学生と高校生
- 交際を続けた7年間
- 2007年6月の入籍
出会いは2000年ごろ
二人が出会ったのは2000年ごろ、若手俳優が集まる食事会の場だったと伝えられています。
ドラマや映画での共演がきっかけではありません。作品の現場ではなく、仕事を離れた集まりで顔を合わせたことになります。
高岡蒼佑さんは1982年2月8日生まれ、東京都大田区蒲田の出身です。宮崎あおいさんは1985年11月30日生まれ、東京都杉並区の出身になります。
どちらも子役に近い年齢から芸能界に入り、この時期にはすでに映像作品に出ていました。同世代の役者同士が横のつながりを作る場は、当時も今もあります。
先に、二人の歩みを一覧にしておきます。
| 出会い | 2000年ごろ・若手俳優の食事会 |
| 紹介者 | 女優の栗山千明と伝えられる |
| 交際期間 | 約7年(10代のころから) |
| 入籍 | 2007年6月15日(大安) |
| 挙式 | 2007年7月25日・東京大神宮 |
| 離婚 | 2011年12月28日 |
それでは、出会いの場面から順に見ていきます。
きっかけをつくった女優
二人を引き合わせたのは、共通の知人でした。
その役割を果たしたのが、女優の栗山千明さんだったと伝えられています。
栗山千明さんは高岡蒼佑さんと同学年にあたり、10代のころから活動していた俳優のひとりです。同世代の役者が集まる場に、両方を知る人物として居合わせたことになります。
この経緯については、二人が公の場で詳しく語った記録は確認できませんでした。紹介者の名前まで含めて、周辺から伝わってきた話という位置づけになります。
ただ、結婚を報告した際の説明でも「知人の紹介で知り合った」とされている点は一致しています。少なくとも、作品の共演から始まった関係ではないことは確かです。
芸能界の結婚では共演がきっかけになるケースが目立ちます。そのなかで、仕事を離れた場から始まったという出発点は、二人の関係を考えるうえで押さえておきたいところです。
当時は中学生と高校生
出会った時期の年齢を確認しておくと、この関係の特殊さが分かります。
2000年の時点で、高岡蒼佑さんは18歳になる年でした。一方の宮崎あおいさんは14歳になる年で、まだ中学生の年代です。
つまり二人は、高校生と中学生という時期に知り合っていたことになります。
一般的な感覚に置き換えれば、部活動や進路の話をしている年頃です。そこで出会った相手と、そのまま20代半ばまで関係が続いたわけです。
芸能界という環境では、同世代でも仕事を通じた付き合いが中心になります。学校の友人関係とは別に、現場で顔を合わせる仲間ができる。二人の場合は、そのつながりから始まりました。
この時期に出会ったという事実は、後の交際期間の長さにも直結しています。
交際を続けた7年間
結婚を報告した際、二人の交際期間は約7年と説明されています。
10代のころから付き合い始め、そのまま20代へ入っていったことになります。出会いから結婚まで、片方は中学生から社会人へ、もう片方は高校生から中堅の俳優へと立場が変わりました。
この7年間は、二人にとってキャリアが大きく動いた時期でもあります。宮崎あおいさんは映画やドラマで主演を務めるようになり、評価を高めていきました。
結婚した2007年には、翌年のNHK大河ドラマの主演が決まっていた時期にあたります。
10代の交際がそのまま結婚まで続くこと自体、多くはありません。まして、双方が注目される仕事に就いている環境です。交際が表沙汰にならないよう気を配る必要もあったはずです。
それでも7年という時間を重ね、二人は籍を入れる選択をしました。
2007年6月の入籍
結婚は、周囲にとって突然の発表でした。
入籍したのは2007年6月15日です。大安にあたる日を選び、東京都内で婚姻届を提出しています。
二人は連名のファクスで、報道各社へ結婚の報告を行いました。
会見を開くのではなく、書面での報告という形です。この時点で、当時の表記は高岡蒼甫さんでした。2006年2月に事務所を移籍した際、名前の漢字を変えていたためです。
入籍の時点で、宮崎あおいさんは21歳、高岡蒼佑さんは25歳でした。当時の報道では、妊娠していないことも合わせて伝えられています。
宮崎あおいさんはこの年、連続テレビ小説への出演で広く名前が知られていた時期にあたります。人気が高まっているタイミングでの結婚だったことになります。
高岡蒼佑と宮崎あおいの馴れ初めから離婚まで|4年半の結婚生活
ここからは、結婚してからの歩みと別れまでを見ていきます。
- 結婚式をめぐる二つの記述
- 結婚生活は4年半で終了
- 離婚と同じ時期の改名
- 馴れ初めが語られ続ける理由
- 高岡蒼佑と宮崎あおいの馴れ初めまとめ
結婚式をめぐる二つの記述
結婚式について調べると、異なる情報に行き当たります。
ひとつは、入籍の翌月にあたる2007年7月25日に東京大神宮で挙式したという記述です。もうひとつは、翌年の3月3日に北青山の式場で行われたという記述になります。
これは矛盾ではなく、挙式と披露宴が別の日に行われたと考えると整理がつきます。
神前式を先に済ませ、披露の場を後日あらためて設ける形は珍しくありません。特に仕事の予定が詰まっている場合、二つを同日にまとめるのは難しくなります。
披露の場には俳優仲間ら約100人が出席し、報道陣を入れずに行われたと伝えられています。表向きの華やかさよりも、関係者だけで祝う場を選んだことになります。
ただし、これらの日付や会場については当時の一次資料まで確認できたわけではありません。複数の記述があることを前提に受け取っておくのが適切です。
結婚生活は4年半で終了
結婚生活は、長くは続きませんでした。
二人が離婚したのは2011年12月28日です。
2007年6月の入籍から数えると、およそ4年半になります。交際期間の7年より短い結婚生活でした。
子供はいませんでした。結婚から離婚まで、妊娠や出産に関する発表はありません。
この年、高岡蒼佑さんの側にも大きな動きがありました。2011年7月、自身の投稿をきっかけに所属していた事務所を離れることになります。7月28日、退所をみずから公表しました。
その約5か月後に離婚が成立しています。ただし、この二つの出来事の因果関係について、二人が公式に説明したことはありません。時期が重なっているという事実にとどめておくべき部分です。
離婚と同じ時期の改名
離婚の前後で、もうひとつ動いたものがあります。名前の表記です。
高岡蒼佑さんは2006年2月に事務所を移籍した際、高岡蒼甫という表記に変えていました。宮崎あおいさんと結婚していた期間は、この表記で活動していたことになります。
そして離婚と同じ2011年12月に、元の高岡蒼佑へ戻しています。
その後も表記の変更は続きました。2013年12月には高岡奏輔への改名を表明し、後年ふたたび高岡蒼佑に戻っています。検索したときに複数の表記が出てくるのは、この経緯によるものです。
結婚と改名、離婚と改名が重なっているため、時期を追うときは表記を手がかりにできます。蒼甫と書かれている記事は、おおむね結婚していた期間のものになります。
馴れ初めが語られ続ける理由
離婚から時間が経っても、この二人の馴れ初めは検索され続けています。
理由のひとつは、出会いの時期の早さです。中学生と高校生で知り合い、7年交際し、結婚したという流れは、芸能界の結婚としてもかなり珍しい部類に入ります。
もうひとつは、その後の対比です。宮崎あおいさんは2017年12月23日に婚姻届を提出し、俳優の岡田准一さんと再婚しました。このときも、連名のファクスによる発表でした。
10代から積み上げた関係が4年半で終わり、その後に別の相手と家庭を築いている。二つの結婚を並べたとき、最初の関係がどう始まったのかを知りたくなるのは自然なことです。
馴れ初めの部分だけは、当事者があまり多くを語っていません。伝わっているのは、若手俳優の集まりで知人に紹介された、というシンプルな経緯だけです。
情報が少ないからこそ、繰り返し検索される題材になっているといえます。
高岡蒼佑と宮崎あおいの馴れ初めまとめ
- 二人の出会いは2000年ごろ、若手俳優が集まる食事会の場だった
- 共演がきっかけではなく、知人の紹介で知り合っている
- 紹介役は女優の栗山千明さんだったと伝えられているが、本人たちの説明は確認できない
- 出会った当時、高岡蒼佑さんは高校生、宮崎あおいさんは中学生の年代だった
- そこから約7年の交際を経て、2007年6月15日に入籍している
- 結婚の報告は会見ではなく、二人の連名によるファクスで行われた
- 入籍時の表記は高岡蒼甫。2006年2月の事務所移籍にともなう変更だった
- 挙式は2007年7月25日に東京大神宮、披露の場は後日あらためて設けられたとされる
- 2011年12月28日に離婚。結婚生活はおよそ4年半で、子供はいなかった
- 離婚と同じ2011年12月に、高岡蒼佑という表記へ戻している
高岡蒼佑さんと宮崎あおいさんの馴れ初めをたどると、作品の現場ではなく、同世代の役者が集まる場から始まった関係だったことが分かります。まだどちらも10代で、これから何者になるかも決まっていない時期です。
そこから7年をかけて結婚し、4年半で別れました。交際期間のほうが結婚生活より長かったことになります。
出会いの詳細を二人が語ることは、ほとんどありませんでした。分かっているのは、共演でも一目惚れでもなく、知人が引き合わせた食事会が始まりだったという一点です。だからこそ、この馴れ初めは今も検索され続けています。
