和田アキ子の元旦那は小林甫!8か月で離婚した結婚と再婚までの歩み

和田アキ子の元旦那は小林甫!8か月で離婚した結婚と再婚までの歩み

和田アキ子さんの元旦那がどんな人物だったのか、気になって検索された方が多いのではないでしょうか。

結論からお伝えすると、元旦那は所属事務所でマネージャーを務めていた小林甫さんです。

ところが、8年の交際と5年の同棲を経て結ばれたその結婚は、1年も続きませんでした。

この記事では、出会いから離婚会見、そして再婚までの流れを時系列で整理していきます。

和田アキ子の元旦那は小林甫|出会いから離婚までの経緯

まずは、元旦那がどんな人物で、二人がどう歩んだのかを確認していきましょう。

  • 元旦那は元マネージャー
  • 担当を外れてから始まった関係
  • 5年の同棲を経て挙げた式
  • 結婚から8か月での離婚発表
  • 会見で口にした言葉

元旦那は元マネージャー

和田アキ子さんの元旦那は、小林甫(こばやし はじめ)さんという方です。

芸能人ではありません。和田アキ子さんが所属していたホリプロで、本人の担当マネージャーを務めていた人物です。

担当になったのは、2曲目のシングル「どしゃぶりの雨の中で」のころだと伝えられています。デビューして間もない時期から、和田アキ子さんの現場を支えていたことになります。

のちにホリプロを離れ、会社を経営する立場になりました。離婚を報じた当時の記事でも「元マネジャーで会社社長」という肩書きで紹介されています。

先に、二人の関係を一覧にしておきます。

元旦那 小林甫(こばやし はじめ)
職業 ホリプロの元マネージャー/のちに会社社長
交際・同棲 出会いから約8年、うち5年は同棲
結婚 1976年10月9日に挙式
離婚 1977年6月25日に発表(約8か月半)
再婚相手 飯塚浩司(1981年6月1日に入籍)

それでは、出会いのところから順に見ていきます。

担当を外れてから始まった関係

二人の関係が動き出したのは、仕事の担当を離れてからでした。

小林甫さんは1970年に和田アキ子さんのマネージャーを降り、ホリプロも退社しています。上司と部下でも、担当と歌手でもなくなったわけです。

その後、和田アキ子さんが頻繁に悩みを相談するようになったことが交際のきっかけだったと伝えられています。

デビューから数年で一気に売れた歌手が、外に持ち出しにくい悩みを抱えるのは想像がつきます。事務所の外にいて、自分の仕事も人となりも分かっている相手は、相談先として得がたい存在だったはずです。

仕事の関係者から個人的な理解者へ。距離が変わったところから、二人の関係は始まりました。

ただし、この経緯を本人が語った記録は確認できませんでした。伝えられている範囲の話として受け取っておくのが適切です。

5年の同棲を経て挙げた式

交際は、そこから長く続きます。

出会いから起算すると約8年、そのうち5年は同棲していたと伝えられています。相手をよく見極めたうえでの結婚だったことになります。

二人が結婚式を挙げたのは、1976年10月9日でした。

この時期の和田アキ子さんは、歌手としても司会者としても押しも押されもせぬ存在になっていました。1950年4月10日、大阪市天王寺区の生まれで、10代でデビューしてから走り続けてきた時期にあたります。

芸能界には、交際が表沙汰になってから一気に結婚まで進む例が少なくありません。そのなかで8年と5年という数字は、慎重すぎるほど時間をかけた部類に入ります。

だからこそ、このあとの展開が意外に映るわけです。

結婚から8か月での離婚発表

結婚生活は、長くは続きませんでした。

1977年6月25日の午後6時半、和田アキ子さんはホリプロの事務所で離婚を発表します。

1976年10月の挙式から数えると、およそ8か月半です。同棲していた5年間を含めれば13年近い関係でしたが、籍を入れてからの時間は1年に届きませんでした。

一緒に暮らすこと自体は、5年かけてすでに経験済みだったはずです。それでも、婚姻という形になった途端に関係が変わってしまった。

同棲と結婚は違うということが、これほどはっきり出た例もそう多くありません。

会見の場所が所属事務所だったことからも、個人的な問題として静かに処理するのではなく、公に説明する姿勢を取ったことが分かります。

会見で口にした言葉

この離婚会見は、発言が今も語り継がれています。

和田アキ子さんは体を震わせながら「私がかわいい女じゃなかったということ」と話し、大粒の涙をこぼしたと報じられています。

離婚の理由については性格の不一致を挙げ、「浮気なんかではない」と明確に否定しました。あわせて「些細なけんかが積み重なって」とも語っています。

注目したいのは、相手を責める言葉が出てこないことです。原因を自分の側に置き、元旦那の非を並べていません。

破局の会見では、どちらが悪かったのかという話になりがちです。そこで自分に矢印を向けた発言は、当時としても異例だったと思われます。

なお、離婚の背景については「多忙ですれ違った」「夫婦の時間がなかった」といった説明を載せている記事も見かけます。ただ、そうした記述に出典が示されているものは見当たりませんでした。

本人が会見で語ったのは、性格の不一致と、小さなけんかの積み重ねです。ここから先は推測の領域になります。

和田アキ子が元旦那と別れた後|再婚相手と現在まで

ここからは、離婚したあとの歩みを見ていきます。

  • 再婚相手はテレビカメラマン
  • 再婚と同じ年に受けた手術
  • 子供がいない家族のかたち
  • 情報が食い違っている点
  • 和田アキ子の元旦那と結婚歴まとめ

再婚相手はテレビカメラマン

離婚から4年後、和田アキ子さんは再婚します。

相手は飯塚浩司さんという方で、当時はテレビカメラマンとして働いていました。二人が出会ったのは、和田アキ子さんが出演した1980年のドラマ『ひまわり戦争』の撮影現場です。

飯塚浩司さんは、和田アキ子さんが一番きれいに映る角度を熱心に研究していたといいます。

その姿を見た和田アキ子さんが好意を持たれていると受け取り、自分から近づいていった。そんな流れだったと語られています。

入籍は1981年6月1日、同じ年の10月には四谷の教会で式を挙げました。前回はマネージャー、今回はカメラマンと、どちらも自分を近くで見てきた裏方の人物だったことになります。

飯塚浩司さんは現在、株式会社エー・アンド・ケイを経営し、和田アキ子さんが監修する和食店「わだ家」の実務を担っています。

再婚と同じ年に受けた手術

ところが、再婚した年に大きな出来事が起こります。

入籍からおよそ1か月後、和田アキ子さんは体調を崩して入院し、子宮がんと診断されました。

医師からは全摘出しなければならないこと、そして子供を産めなくなることを告げられます。

子供がほしくて検診を受けたところ、がんが見つかったという経緯だったと本人が明かしています。望んで受けた検査が、望みを断つ結果になったわけです。

手術を受けたあと、わずか10日ほどで仕事に復帰しました。病名を公表しないまま、テレビの現場に戻っています。

結婚式を挙げたのは、その年の10月です。手術を挟んで式に臨んだ形になります。

子供がいない家族のかたち

この経緯があり、和田アキ子さんに子供はいません。

養子を迎えたという情報が出回ることがありますが、そうした事実は確認できませんでした。血のつながった子供も、養子も、迎えていないというのが実際のところです。

本人がこの件について語ったのは、手術から30年以上が経ってからでした。バラエティ番組で当時を振り返り、涙を流しながら心境を明かしています。

「それくらいほしかった、子供。死ぬほど泣いたね」と語ったと報じられています。

豪快で強い人という印象で語られることの多い方です。その裏側に、長く言葉にしてこなかった時間があったことになります。

そして飯塚浩司さんとは、その出来事を共有したまま40年以上を連れ添ってきました。8か月で終わった最初の結婚とは、対照的な歩み方です。

情報が食い違っている点

最後に、調べるときの注意点を挙げておきます。

元旦那との結婚について、ネット上には「1977年10月に結婚し、1978年に離婚した」と書いている記事もあります。この記事で挙げた年月とは1年ずれています。

ただ、離婚を発表した日付については、多くの記事が1977年6月25日で一致しています。1977年10月に結婚したのであれば、その4か月前に離婚を発表していたことになり、話が合いません。

つまり1976年10月に結婚し、1977年6月に離婚を発表したという流れのほうが、前後関係として矛盾しません。

この記事でもそちらを採用していますが、当時の一次資料まで確認できたわけではありません。年月については、その前提でご覧ください。

元旦那についての情報が少ないぶん、こうした食い違いがそのまま広がりやすくなっています。数字が出てきたときは、前後の出来事とつながるかどうかを見ておくと判断しやすくなります。

和田アキ子の元旦那と結婚歴まとめ

  • 元旦那は小林甫さん。ホリプロで和田アキ子さんの担当マネージャーを務め、のちに会社社長になった人物
  • 担当を外れ、ホリプロを退社したあとに悩み相談から関係が始まったと伝えられている
  • 出会いから約8年、うち5年の同棲を経て、1976年10月9日に結婚式を挙げた
  • 1977年6月25日、ホリプロの事務所で離婚を発表。結婚から約8か月半だった
  • 会見では「私がかわいい女じゃなかったということ」と語り、涙を見せた
  • 離婚理由は性格の不一致とし、浮気ではないと明確に否定している
  • 1981年6月1日、テレビカメラマンだった飯塚浩司さんと再婚した
  • 二人の出会いは1980年のドラマ『ひまわり戦争』の撮影現場だった
  • 再婚の約1か月後に子宮がんが判明し、全摘手術を受けて子供を産めなくなった
  • 実子も養子もおらず、飯塚浩司さんとは40年以上連れ添っている

和田アキ子さんの元旦那をめぐる話でいちばん印象に残るのは、13年近くかけて築いた関係が、籍を入れてから1年も持たなかったという事実です。同棲を重ねて相手を知り尽くしていても、結婚という形が関係を変えてしまうことがある。

そして離婚会見で相手を責めず、原因を自分に引き受けた姿勢は、この方の人物像をよく表しています。豪快な言動で知られる一方、身内のことは自分の側で引き取ってきた人でもあるわけです。

その後に選んだ相手とは、病を抱えた出発点から40年以上を積み重ねました。二度の結婚を並べてみると、和田アキ子さんが誰とどう向き合ってきたのかが、輪郭を持って見えてきます。

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